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アファンの森は今


困難を乗り越え誕生する小学校の校歌がお披露目

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ダイナミックなペア:宮城県東松島市内の東松島コミュニティセンターにて、宮野森小学校の生徒に囲まれる加藤登紀子さんとC.W.ニコル 2/12 共同

 

5年前の2011年3月11日、東北地方を大きな地震が襲い、悲劇的な大津波が甚大な被害をもたらしました。私自身は遠く離れた長野の山の中におりましたが、C.W.ニコル・アファンの森財団の関係者と即座に何が出来るか考えました。当時多く求められた募金や片付けのお手伝い以外にも我々だからこそ出来ることがあるのではないかと考えていました。財団が発足した2002年以降、我々は虐待を受けた子どもや障がいを抱える子どもに3日間にわたって自由に自然の森を体験するプログラムを提供してきました。私達はこれらのプログラムが子ども達の抱えるトラウマを緩和する効果があったと自信を持っています。

 

私達は3月11日の悲劇を体験し、家族や友人を失い、家、学校、職場が流される光景を目の当たりにした人たちの心中を想像しようとしました。また壊れた街並みの中、破壊された家屋や異臭漂う中で避難生活を送られていることも然りです。故に、被災した地域の方々を2泊3日で我々のアファンの森へ招待することを決めました。普段と違うのは子どもだけでなく、ご家族一緒に参加いただきました。悲劇的な体験の後、家族は寄り添うべきだと考えたからです。被災地各地にお送りした多くの招待の中で宮城県東松島市が最初に手をあげてくださり、2011年8月に大人と子どもあわせて27名が訪れてくれました。

 

400キロ以上離れた長野県北部の我々の森にゲストを乗せたバスが到着した時には(当財団職員が同行)子どもも大人もどこか疲れた表情で心細そうにしている方もいました。しかし、ものの数時間も過ぎぬ間に子ども達は森中を走り回り、ロープや木の枝に揺られ、森を探検していました。既に変化が生まれだしていたのです。外での遊びを何ヶ月も出来ていなかった子ども達は解放され、笑い声が森に響き渡りました。そんな子ども達を眺める大人にも変化が現れました、笑顔で目を輝かせながら沢山の質問をしてくれるようになりました。ケーキや歌でお祝いしたお誕生日会など、森の様々なプログラムに参加していただき3日目を終える頃には、私達の中に何か達成感を感じる様になりました。

 

この時に3人の大人の参加者が私にある願いを申し出てくれました。東松島市の数多くの復興計画の中の1つに、ある小学校を高台に移転する計画があるのだが、その移転先は将来の津波からは守られた場所ながら、手入れされておらず荒れた森に囲まれているとのことでした。この暗い森をアファンの森のように光りが差し込み、生物の多様性豊かな森にするお手伝いをしていただけませんか、と願い出てこられたのです。また、建設される新しい校舎が森を遊びの場と教室として繋がる為の助言も求められました。結果、この4年間に渡り、私とスタッフは毎月東松島に通うことになり、森林の保全、トレイルの整備、ツリーハウスと展望デッキの建設などをおこない、森が遊びと学びの場所となるべく精力的に動いてきました。

学校の校舎については私から1つだけ条件を提示しました。もし私がこの校舎の建設に関わる場合は、その校舎は木造でなければならないと。私は、鉄筋コンクリート製の箱には興味がなかったからです。

日本には世界最古の木造建築物である奈良の法隆寺が604年に建立されていて、それは1400年以上経った今も現役の建造物として残っている。同じく世界最大の木造建築物である奈良の東大寺も728年に建立してから今も現役です。これらの古い日本の木造建築は数多くの地震を生き抜いています。これらの伝統と現代の木造建築技術を併せると予見出来る多くの自然災害をおおむね乗り切ることが出来ます。加えて、木造建築は現代の多くの子どもが苦しむアレルギー症状を緩和し、また風邪やインフルエンザの予防にも役立つことが立証されています。言い換えると正しく建てられ管理された木造建築は子どもにとってより安全で健康的だと言えるのです。

しかし、まぁ、この点では沢山の攻撃を受けました!

日本の行政というのは鉄筋コンクリートでの建設業者と結婚しているかの様に強く結びついているみたいです。この件についてはこれまでも、今も、長く続く戦いとなりました。特に建設族とも言える政治家の方々は堅い殻から抜け出てこのウェールズ系日本人と対峙することを避け続けています。
しかしながら東松島市長、教育委員会、教員、父兄の方々、生徒や沢山の専門家が味方となってくれました。特に建設、教育、健康にまつわる専門家からも応援頂きました。

結果として我々は斬新でモダンな木造の小学校をこの戦いで勝ち取りました。
内外で著名なシーラカンスK&H設計事務所が設計を手がけ、住友林業が建設を担うことになりました。両者からはこの小学校が最低でも日本有数、恐らく日本一の校舎となることを約束してくれています。

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新しい校舎は2016年12月に完成し、翌年の2017年1月には生徒と先生方が利用を開始します。この完成に当たってはメディアからも大きな注目を浴びることでしょう。同時に従来の思考しか持てない政治家や役人からは懐疑的な意見も出るのでしょうが、それは放っておきましょう。我々の本当のサポーターと仲間が誰なのか分かっているのですから。

新しい小学校の名前は宮野森小学校と命名されました。ちなみにこの学校は『市立』であり決して『私立』ではないことをお伝えしたいと思います。宮野森小学校は津波で被害を受け、校舎は全壊こそ免れたものの周辺人口が減少した野蒜小学校の生まれ変わりとなります。新しい小学校には野蒜小の131名の生徒と、隣接する宮戸小学校の18名が合流し総勢149名の小学校となります。
モダンで光りに満ち、綺麗な空気に包まれた安全で素晴らしい小学校になり、7ヘクタールの素晴らしい森と太平洋を見晴らせます。

しかしまだ課題が残っていました。校歌が決まっていません。野蒜地域と宮戸地域の誇りを併せ持ち、子ども達が楽しく共に歌える歌が。私は古くからの友人である加藤登紀子さんに作詞作曲を依頼するという無茶な提案しました。すると周囲の全員が大賛成してくれました。

私は彼女と30年以上も親睦を深めた中であり、大ファンでもあります。彼女は音楽と共にニューヨークのカーネギーホールからアジアやアフリカの村々まで世界中を訪れています。彼女は「日本のエディット・ピアフ(フランスの著名なシャンソン歌手)」との異名を持つ素晴らしい歌手であり環境社会活動家でもあり、私の親友の1人です。彼女のコンサートで何度も歌わせて頂いた経験もあります。(ウェールズ人なもので)

2016年2月12日に子ども達、教員、父兄の方々に東松島のコミュニティセンターに集まっていただき、登紀子さんの指導のもとで生徒達は新しい校歌「森は友達」を歌い上げました。

校歌はこの様に始まります。

「高く高く青い空へ飛んで行く鳥になりたい。土の上に種を落としていつか大きな木になりたい」

冒頭の歌詞だけで観客は聞き入る様になり

「遠く遠く海を越えて旅する魚になりたい。土の上に両手広げていつか恋する花になりたい」

という歌詞が続き、コーラスの

「森はともだち、海もともだち、鳥も花も魚も」

と続きます。

宮ノ森小学校の開校する来年の1月には思いもひとしおでしょう。また、あの災害を生き残った子ども達が、次に続く歌詞を歌う頃に涙がこぼれていない人の方が少ないでしょう。

その歌詞とはこう続きます

「野蒜の里に広がる大地。畑や田んぼや浜辺は、時を越えて姿変えても命いっぱい生きているよ」

厳しく困難な闘いでした、しかし一部の行政関係者からは毛嫌いされることになったとしても、とても価値のあるものだったと自負しています。

この学校の成果が見られることが、今から楽しみです!

C.W.ニコル


The Japan Times  OLD NIC'S NOTEBOOK 2016年3月5日より

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