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アファンの森は今


2008年4月

 4月の最初に引き続き、現場にメッシュの交点を落とす作業を行なっています。

4月21日?22日、4月28日とご協力いただきながら、地道にポイントを落としました。
まだ作業は続きます。ボランティア登録いただいている方にはご連絡申し上げますので、ご協力よろしくお願い申し上げます。

協力 : 人と自然の研究所、ボランティアの飯塚さん、米山さん、木戸さん

 銀の匙を100万本もくわえて生まれてきたようなビュート候3世、父親こそ悲劇的に亡くしますが、財産は財団の管理下におかれて安全に、しかも若くて美しくて心優しい母親のソフィア未亡人からは十分な愛情を注がれて、寡黙ながらも利発で健康な少年に育ちます。が、この方はよくよく近親のご縁が薄い方なようで、11歳には最愛の母親まで亡くしてしまいます。男の子はやがて、一人を好む本好きの口数少ない若者となり、長じてはオックスフォードに進学して、歴史、宗教、文学美学芸術を学び、研究に没頭する日々を送ります。7ヶ国語が自由に話せ、しかもその他に14の言葉を理解できたそうですから、アカデミックな面の非凡さは、並大抵ではなかったようです。成人して独立された3世候はいわゆる書誌学者となられて、特に中世文学に造詣が深く、美しいものをこよなく愛し古文書などの文献を読み漁る毎日をおくるのですが、これが昂じたのか或いは、自身のドラマの様な人生と比して不動なる天上への憧れが強かったのか、この独身時代に英国国教会からカトリックに改宗してしまいます。名門貴族の誠に美しいご令嬢を娶った後は1女3男にも恵まれて、寡黙温厚にして家族や動物を愛する学者貴族として1900年、53歳で人生をまっとうされました。ビクトリア王朝の英国の絶頂期、ビジネス才能のあった父候とは異なったアカデミックな才能を全開で活かすことが出来た、そういう面では幸運な人生だったといえます。

 

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ビュート候3世の銅像です。
ビュート侯爵、ウインザー子爵、ダンファリー子爵、カーディフ男爵と、この方には大きな爵位が4つもありました。

 

 

 

 

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ヒルトンホテル前にある銅像の足元は、お茶目に剪定された可愛いガーデンです。 

 

 

 

 

 

 候が18歳の時に、カーディフ城とその支城の改修プロジェクトの片腕の天才デザイナー、ウイリアム・バージェスに出会っています。バージェスは候よりも20歳年上、当時すでにネオゴシック装飾の専門家として欧州でも名のある人でした。半端なじゃない中世文化狂い、しかも趣味が昂じて日常でも往々にして中世の騎士や僧侶、貴族に扮していたといいますからかなりの奇人変人で、生涯独身を貫いたことや、あまりにも突飛で奇抜な言動や耽美的なデザインの数々からは、一説には男色・アヘン常習者、誇大妄想だったのではないかとの噂も今日残っていますが、真実は誰も知りません。ただ、同じく中世文化狂いにして家族の無い孤独な3世候が、浮世離れしたバージェスの美学とテイストに共感して、しかも、天才同士のある種の孤独を共有しながらついでに父性も感じたりして、急速にお互いが必要になったとしても不思議はないです。二人のプロジェクトの成功の裏には、3世候の富のみならずバージェスもまた、エンジニアだった父親の裕福な資産財産で働かずして何不自由なく、一生好きな事をして暮らせたという背景がありました。二人のお金持ちの、しかも類稀な天才が出会って共通の美意識を分かち合いそして共に夢を追う。男のロマンの結実が現在の、ニコルさんの率いる6月ツアーが訪問する「カーディフ城とキャステルコッホ城」です。(このコンビでなければ現在はありえないという組み合わせがあるなら(例えば、ビートルズのジョンとポール、漫画家の藤子不二男さんや今上天皇陛下ご夫妻というように)3世候とバージェスがそれといえます。更に二人が幸運だった事は、当時(明治初期頃)、欧米のカトリック伽藍や名高いお城など、中世の建物の多くがこの時期までに修復を終えていたことで、欧州飛び切り一級の石工、彫師、壁画画家、織物職人、タイル職人達を一手に集めることが出来た、というタイミングの良さにもありました。二人の美意識、自信に満ちた知識と経済力、そして時勢。カーディフ城とキャステルコッホは、成功への3拍子が揃った状況の産物です。(続く)

 

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カーディフ城のキープといわれる見張りの塔。
緑溢れる市内が一望に見渡せます。カーディフは、英国内でも樹木が多いことで有名です。

 

 

 

 

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城の前庭では孔雀が放し飼いにされています。

 

 

 

 

 

 

 

インテイリアのごくごく一部です。
(この2枚は、カーディフ市から記載の許可を頂きました。) 

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カーディフ城写真  クリスチャン・ルイスサール  CELT21 UK
その他の写真と文   ルイスサール・奈都世    CELT21 UK

 婚姻による爵位の継承で晴れて伯爵家となったビュート家ですが、初代伯爵の孫の第2世侯爵ジョンは、掘られた石炭を山からカーディフに運ぶ鉄道を敷き、そしてそれを世界に向けて積み出すためにカーディフの港湾整備をして、新たな富を築きあげていきます。
現在のカーディフ市があるのもこの方のビジネス手腕のおかげで、2世候は市民からは「近代カーディフの父」と呼び親しまれています。そしてこの人は、お城を改修した第三世ジョン・パトリック・クリフトンスチュワートのご父君でもあります。 (ビュート家のご当主は、代々ジョンを襲名しています)

 

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ビュート候2世の銅像。

 

 

 

 

 

 

 自身の作品であるカーディフ湾を背にして、息子である3世が手がけたお城とカーディフ市に対面している。都市計画に沿って、大騒ぎで何度も移動しています。前回2000年には、ついに首部分を外されてクレーンでつられて移動されて、銅像ながらも気の毒でした。


 
 ビュート候2世は生来の弱視というコンディションにもかかわらず、乗馬を愛し鹿狩りにも積極的に参加するなど、不屈の意思の人でした。ご性格はワンマンで、強引・独善的でもあったとも。こういうご性格ゆえか、何もしなくても潤沢な暮らしが出来たはずのこの人、石炭の世界需要をいち早く読み取り、当時の全資産を注ぎこんで、石炭輸送の設備事業を興します。設備工事が終了するには10年の年月がかかりました。この間お金も動きましたが、御領地の木もよく健闘しました。木にとっては災難とも言うべきなのですが、相当な勢いで立ち木を切り倒して製材し、木材は、鉄道の枕木やドックの設備にせっせとあてがわれていきます。江戸後期天保年間の頃のことです。ビュート候2世が投資した資産は、港湾設備完成後1年も立たないうちに大利益を上げながらすべてを取り戻したそうですから凄い。

 

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ビュート候2世の領地の木材が使用されたドックの名残。
レンガの建物は、旧税関。奥は文化ホール。手間のフラットな屋根はウーエルズ議会。

 

 

 

 

 港湾整備のお陰で石炭の積出し能力が上がったカーディフですが、山から次々と運ばれてくる石炭を間断無く船に積み込むには相当の人手が要ります。そしてそこに石炭がある限り、積み込むだけで日銭になるのですから、あれよあれよという間に国内はもとより、東欧、北欧、中東、アフリカから労働者がわんさかと集まってきました。カーディフにはこういった移民の人々の子孫が現在も多く住み、英国内でも有数の多重国籍市でもあります。陸では数千人の労働者が待ち受け、沖には常時順番待ちの船が数十隻も停泊していたそうで、その活気たるや相当なものだったようです。実際に白黒写真や絵で当時の記録を見ますと、港湾労働者の叫び声や汽笛の音などの喧騒が(聞いた事も見たことも無いのですが)聞こえてくるようです。鄙びた寒村にすぎなかったカーディフが「石炭首都・国際石炭都市」と呼ばれたのも頷けます。

 

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2世候がドックの敷地内に特別に許可した、北欧出稼ぎ船員のための教会。
現在は。カフェと多目的ホール。ベイエリアの人気のキャラクター。

 

 

 

 富の大小関わらず貴族なら放蕩三昧も珍しくなったこの時代、このビジネス感覚といい弱視をハンディとしない性格といい、ワンマンといわれようとも、ビュート候2世は強靭な精神力を持ち合わせた非凡な人物だった事は間違いありません。ところが、家庭人としてはお子様に恵まれずしかも奥方を先に亡くされて、必ずしも順風万帆ではなかったようです、、と云いたいところなのですが、強気で運の強い人はやっぱりどこかが違う。オトコヤモメとなられても程なくして、これまたお金持ちの、しかも若くて美しい奥方(初代ビュート伯爵とはここが違う)を後妻に迎えて、今度はあっという間に世継ぎの男子を設けます。時にビュート候2世50歳、申し分の無い人生でお羨ましい、、といいたいところですが、人の世の移ろいのはかない事、2世はこの赤ん坊が生後6ヶ月の時、心臓麻痺で急死してしまいました。享年51歳。パーティ前に不調を訴えて控え室に引き上げて5分後には亡くなっていたといいますから、この方の一生は羨ましいというべきか、むなしいというべきか。さらにこの生後6ヶ月の赤ん坊も不憫なり、、、と誰でも思う訳ですが、この男の子・後のビュート候3世は、ご父君の不慮の死の瞬間にその一切の財産を丸々ごっそり相続して、赤ん坊にして世界一の大富豪となるのです。物語のようなドラマティックな人生のスタートですが、これよりこの人もまた、非凡な一生を送るのです。(続)

 

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ミラニアムセンターの斬新な設計。
オペラやコンサートで常に賑わう。

 

 

 

 

 

 

 

文と写真 ルイスサール奈都世(CELT21 UK)

 お久しぶりです。本年6月に予定されているニコルさんと全日空社の環境ツアーのプログラム作成に携わっておりました。

 お休みしている間に連載された(か)さんのウエールズ訪問記、楽しみに読ませていただきました。2月の下見ツアーには主人と私も同行していたわけですが、訪問先やホテルやカフェで折に触れて鉛筆を舐めなめ、時に天を仰ぎながら日記をつけていた(か)さん。ご自分の目で英国を観察しておられて、毎回次の記事が楽しみでした。

 

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アレキサンドラ戦争記念公園からみた桜。

 

 

 

 

 

 

 さて、カーディフの桜も満開となり、ウエールズ観光の幕が切られました。いたるところで桜、梅、椿、クロッカス、遅咲きのらっぱ水仙にチューリップと、まさに春つげの花々が妍を競っています。とはいえ三寒四温や花冷えの言葉通り、青天の合間には小雪もちらつく日もあり、重いコートがなかなか片付けられません。ウエールズの首都カーディフは、周辺人口併せて約40万人、1955年に首都として指名された若い都市です。市内中心地は商業地区と行政地区に分かれていますが、行政地区のモダンな建物の美しさは英国内でも定評があります。カーディフはコンパクトにまとまった、歩き易くて移動しやすい街です。カーディフ城は市内の中心・商業地区の真っ只中にあります。このお城は1947年以来カーディフ市に所属し、現在はウエールズの史跡保存協会・CADWが管理しています。最後のご城主はスコットランドの貴族ビュート伯爵家でした。ビュート家はもとはスコットランド西海岸地方の小規模で平凡な一貴族でした。ところが、1766年・日本では徳川九代将軍家重時代(平賀源内が活躍した頃)当時の御曹司が、CADWの資料の表現をそのまま借りますと「お金はあるけれどもとてつもなく器量の悪い大富豪の跡取り孫娘」と結婚したことから、婚礼の一夜を境いにあっという間に大富豪の大貴族になってしまいました。以後も数世代の婚姻により妻側の莫大な領地を次々と相続してドラマティックに家運をあげていきます。

 

                 カーディフ城の時計台 

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 ビュート家の幸運は、お金持ちの娘さんをお嫁さんに貰ったことではなく、相続した領地に南ウエールズの山々があったことです。時は産業革命の真っ只中、エネルギーに石炭以外の選択肢の無かった時代の当時は世界中の石炭需要率は現在の石油以上、良質な石炭が豊富に眠っていた南ウエールズの山はまさに宝の山でした。石炭は文字通り黒いダイヤモンドとしてビュート家はお金持ち街道まっしぐら、やがて頂点を極めて100年も経たないうちに名実共に世界一の石炭王となりました。カーディフ城はこのビュート家の石炭による富の産物です。改修には、純粋なカトリック信者だった第三世伯爵(幕末から明治中後期までの人)と、天才設計士のウイリアム・バージェスの渾身の共同プロジェクトとして、まず発掘調査から始まり、約20年の時間がかけられています。改修にあたっては内外の一流の職人をふんだんに雇い、聖書や欧州伝説、英国史、オリエント願望などをテーマにした城内のインテリアは、二人の独特な審美眼によるネオゴシック装飾のデザインが施されて、ため息が出るほどの職人技がもうあたり一杯これでもかというほどに展開されています。それはそれは賢くて繊細なデザインに溢れています。外壁のアニマルウオールはそのごく一部です。インテリアの凝った職人芸と対比させて敢えてシンプルに仕上げてありますが、石の動物達には今にも動きそうな気配が漂い、匠の価値も高い芸術作品です。城を代表するキャラクターとしても圧倒的な人気があります。(続)

 

           アニマルウオール約15体のうちの代表達 

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文と写真 ルイスサール奈都世(CELT21 UK)

 アファンの森は測量して、地形図が作られています。この地図があるので、実際にアファンの森で起こった出来事の場所が記録できます。生き物の情報、作業の情報、などなど。また、その情報を間違い無く共有することもできます。

 この地図にメッシュを切って、そのメッシュ単位で情報を管理しようとしています。しかし、地図上で場所を特定するのはなかなか難しいことです。
 ですので、このメッシュ地図と現場をつなげる作業として、メッシュの交点を現場に落とす作業を行いました。(この説明で、なんとなくお分かりいただけますでしょうか?)

 現地調査作業というものは地道な骨の折れる作業です。雪が残る中、メジャーと記録用紙を手に目印となる樹を決め、計測し、記録する...。これを繰り返します。ご協力いただく方々には頭が下がります。

協力 : 人と自然の研究所

 今年初めての"心の森"が、3月31日?4月2日の2泊3日で行なわれました。

 東京、神奈川の児童養護施設4施設から小学校高学年の子ども達14人が参加し、事故無く無事に終了しました。3日間体力的にはとてもハードな雪の森での活動でしたが、子ども達は楽しみながらとても頑張り、無邪気に開放(解放)した3日間となりました。

 気候変動の影響でしょうか、今年も雪が少なめのアファンの森からスタートしました。それでも斜面に残っている雪で「尻ソリ」を楽しむ声や、小雪降る中ブランコに揺られて楽しんでる姿が見られます。サウンドシェルターに一度集まりニコルさんと出会って、その後も日が落ちるまでアファンの森で遊んだあとは、ホテルでチャパティを焼きした。こうして、共に過ごすスタッフと仲良くなり、森で遊ぶことに慣れる初日を過ごしました。

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R0013803.jpg 2日目はXC(クロスカントリー)スキーに挑戦します。しかし、朝から吹雪で予定していた場所へいけず、別の場所で実施です。時々強く吹く風の中でもXCスキーに慣れてもらいました。運動が好きでない子も良く取り組んでくれたと思います。午後は、雪遊びの時間にしました。XCスキーをもっと練習するチームと、ソリなど雪遊びチームに別れて活動です。数十メートルのソリのロングコースや、人が立てるぐらいのかまくらを作ったり、XCスキーではより難しい林間コースを行きつつ、動物の足跡などの観察もし              

                        ました。
 さらに、夕食後アファンの森へフクロウの声を聴きに出かけました。ちょうど繁殖しているフクロウの声が聞こえ、昼間とは違った夜の雪の森を味わいました。

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 3日目の最終日は、昨日とは打って変わっての晴天です。皆でXCスキーを履き、山の奥にある大木の森を目指してツーリングしました。初日、2日目とかなり体力を消耗しているにもかかわらず、それぞれのペースで歩みを進めていました。
黒姫山や妙高山を遠くに眺めながらお弁当を食べ、それぞれの園に帰っていきました。


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 前回様々なことが起こります。今回は突然の参加者減、悪天候、そして色んな子ども達、新たな試み...。その時その時でスタッフはできる精一杯のことをして、子供たちの心の成長に貢献してくれています。もちろん様々な課題はありますが、正面から子どもと大人が関わっている時間だと改めて感じます。参加した子ども達、付き添いの職員の方々、スタッフの皆様、その他関係者全員に感謝です。

協働 日本アムウェイ株式会社 One by Oneこども基金
協力 株式会社インテージ

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