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アファンの森は今


2008年5月

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 地域の方々との交流や財団への理解を深めていただくために、去年秋に引き続き2回目の町民向け見学会を開催しました。
 あいにくの雨でしたが、連絡なしでもレインウェアに長靴、とさすが地元という装備でお集まりいただき、財団の活動紹介の後、初夏の森を歩いていただきました。
 子どもたちはオタマジャクシやカエルなど森の生き物をみつけていくうちにどんどん森の中に溶け込んでいき、年配の方々は地元の山話で見学会が終わった後も松木小屋で話が尽きないようでした。アンケートにはこれからもこのような機会を設けてほしいよいう声が多く寄せられました。これからも地域との交流の行事として継続していきたいと考えています。

 お向かいに住むペギーは今年88歳。薄化粧を忘れず、銀髪をいつも奇麗にうならせた頭脳明晰なおばあ様です。この春ペギーからこんな話を聞かせてくれました。
 
 ペギーの父の名前はジョン・ダニエル・プロッサー。ジョンは、ビュートさんの絶頂期の1880年代に生まれて、荷役ポニーの鼻の高さくらいからビュートさんのロンダ炭鉱で働き始めました。今で言う6,7歳位だと思います。ジョンは気立てが良くて働き者、朝から晩まで真っ黒になりながら、大人に仕えてよく働いたのだそうです。長じては発破技術を取得して炭鉱でもその方面に従事していました。1900年代初頭ジョン29歳の時にとうとう炭鉱の貧乏生活に嫌気がさして、結婚を機にアメリカ移民を決意し、19歳の新妻アニーと弟のスラウリンを伴って船上の人となりペンシルバニアに到着しました。そこで心機一転、都市型の生活を始めるつもりでしたが、ジョンが炭鉱の発破技師だったことを聞きつけたペンシルバニアの炭鉱からお呼びがかかり、またしても炭鉱生活が始まりましす。当時のアメリカの炭鉱技術は英国から見ると大変に劣ったもので、言葉を返せば、英国の炭鉱技術はぴか一だったわけで、子供の頃からの筋金入りの炭鉱夫ジョンほどの知識と経験と発破技術の3拍子を兼ね備えた人物はアメリカの炭鉱にとってはギフトでありました。彼の人柄と技術に魅せられた米国内の炭鉱からお呼びがかかり、ジョンは炭鉱から炭鉱に渡り歩く生活が始まり、お金がどんどん入って来たそうです!!アメリカ版の「お雇い外国人」技師となったわけです。ところが新妻のアニーには異国で頼りの夫が居ない生活は心細くて心細くてたまりません。それでも2年半は辛抱したものの、ジョンの留守中のある日、落雷の直撃で牛が死んだのを目の前で見たことで、異国暮らしの孤独も限界となり寝込んでしまいます。お金がどんどん入ってきていた矢先でもありますから、ジョンは悩みに悩んだそうですが、ペギーの言葉そのままですが「アニーへの愛のために」志を捨てて英国に帰る決断をしたそうです。成功するとどんどんと登りつめることが出来たのが当時のアメリカです。あのまま残っていれば発破長者を約束されたジョンでしたが、そんな事はもう一切忘れて帰国後は、再び元の一炭鉱夫として身を粉にして働き二女にも恵まれ、炭鉱労働従事者の職業病の肺疾患を病みはしたものの、80歳半ばで60年代に生涯を終えたそうです。最後の言葉は「アニー、I love you.」。古き良き時代、誠実に行きた善良な市民の、物語のような一生です。

 当時、英国から北米を目指す貧乏人の移民は無料の船底で航海をしたそうです。ジョンとアニーと弟のスラウリンも芋の子を洗うように人がひしめく環境で寝食していたそうですが、長身の金髪に真っ青な瞳でそれはそれはハンサムだったジョンは同時につややかで深みのあるウーエルズ独特のテナーの持ち主で、毎夜船底の人々に歌を歌って元気付けていたところ、これが船長さんの耳に届いた。ある日船長自らジョンを船底に尋ね、明日の夜から上部の客(お金持ち)の毎夜のディナーに歌って欲しいとお願いされたそうです。この報酬として、ジョン一行は上階の部屋への移動、つまりデッキも窓もあるまともな部屋に食事つきの待遇をあてがわれたそうです。

 さて、ジョンの弟のこれまたハンサムだったスラウリンですが、博打とお酒と女性でトラブルだらけ、無法の時代のアメリカの、鉄砲でズドンの映画のようなすれすれの生活を送っていたそうです。英国帰国後は「悪の魅力」が災いしてカーディフの牧師さん(!!)の娘さんに惚れられて、一生奥さんと神様に頭が上がらず一転、音も立てない一生を送ったそうです。
 
 ツアーではウーエルズ民俗生活博物館を訪問します。ここには、旧炭鉱のコミニュティセンターや、教会や民家や商店などが移設、復元再現してあります。金物屋、よろづ屋、パン屋、どれを見ても懐かしい風情のものばかりです、日本も同じような時代がありました。
ジョンやアニーやペギーの生きた時代が暖かく伝わってきます。名も無い市民の生活ですが、人の営みそこにあった手ごたえと実感が得られます。ウーエルズ生活民俗博物館は、欧州でも人気が高いのですが、人気の理由も良く解かります。

 

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ケルト人の石つくりの豚小屋
円筒形に積み上げて、最後のてっぺんの石で全体を締めます。

 

 

 

 

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 懐かしげな店のウインドウケース

 

 

 

 

 

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村のパン屋さんの復元です。
歩き回るに疲れた4人の中学生が座り込んでいました。

 

 

 

 

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この博物館を学習訪問する学童は、戦前からヴィクトリア時代に遡る生活を体験学習します。写真は、ウーエルズの小さな学校です。先生も児童も当時の服装を着込んで学習します。ちなみに英国内の公営の博物館や資料館は全て無料で訪問者に開放されます。

 

 

 

 

写真と文  ルイスサール奈都世

 5月26日、当財団の理事会、評議員会が実施されました。

 今回はアファンの森を見ていただくことに多くの時間を割くために、アファンの森でお弁当を食べ、現場を見ていただきながら議案の一部についても理解検討いただきました。
トラストにより取得したエリア、松木が今後の整備で頭を悩ましている場所、今後大きく手を入れる場所などを見ていただいた後、信濃町総合会館にて会議を行ないました。予定していた議案はすべて審議され無事終了しました。

 会員の皆様には2007年度の活動報告を6月終わりに発送させていただく予定です。しばらくお待ちください。

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 アファンの森財団が設立された当初からスポンサリングいただいている、(株)リコーの近藤史朗社長が、アファンの森を訪問くださいました。

 学生時代にワンダーフォーゲル部に所属し、鮎釣りで雑誌「Be-PAL」にも登場するほどのアウトドア好きとのことでしたが、森に到着したそのいでたちで納得。とかく、スーツに革靴でいらっしゃる方も多い中、こちらも安心できました。アファンの森を楽しみにされていたことも良くわかりました。

 まずは松木と共にアファンの森を散策です。以前のヤブの状態を写真でお見せしたりしながら森の奥へ。「いいねぇ、気持ちがいい」と何度も言っていただきながら、徐々に松木のペースにあってきました。
 途中ゼンマイを見つけると喜びの声をあげながら採取され、もうその頃には松木と漫才コンビを見るようでした。様々な話をしながらひとまわりしたその両手には山菜がいっぱい。松木も楽しかったようで、なかなか話が終わりませんでした。

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 サウンドシェルターでニコルと合流し、昼食です。メニューはニコル特製のシチュー。「お腹いっぱい」といっているその顔も楽しげでした。山の幸のこと、釣りのこと、おいしい博物誌をずっと見ていたことなど話しながらのんびりした時間を過ごしていただきました。

「いつまでもこんなアファンの森を支援できる会社でありたい」とおっしゃっていただけたのがありがたかったです。何よりもオフィスでは見せないであろう少年のように楽しみ喜んでいる表情が印象的でした。

株式会社リコーHP : http://www.ricoh.co.jp/

 

 ケルト系の人々は話し好きで歌上手、そして特に、声の芸術が盛んなウエールズでは男声合唱団のコーラスが世界的に有名です。大勢が一丸になって危険な炭鉱作業に勤しんだウエールズの人々は、チームワークが得意です。このチームワークの賜物が、男性合唱の魅力とラグビーの強さでもあると云われています。
楽器ではウエリッシュハープが有名です。わが国の皇后陛下もハープを弾かれますが、美しいドレスを着た奏者が綺麗な指先でポロリンポロリンと演奏する姿は優雅でロマンチックですが、見た目ほど楽な楽器ではありません。1998年、英国を訪問された天皇皇后両陛下は、カーディフ城の前庭で200名による男声合唱とハープの演奏を楽しまれました。

 今回6月のツアーでは世界的にも珍しいウエールズの古楽器「クルッス」で演奏される「ブラゴッド」のミニコンサートが企画されています。男声合唱やハープ演奏といったいわば、定番のウエールズ音楽に留まるのは避けたニコルさん企画のツアーならではの音楽です。クルッスは欧州の古楽器ライアーを基としています。このライアーは紀元前3000年前のアフリカを発したもので、旧約聖書のダビデ王が調弦する姿や、グルックのオペラではオルフェスが見事なライナー奏者であることなど、西欧の古典には欠かせない楽器です。ライアーは後にはフィドッル・バイオリンに変化していき、中世初期には殆ど姿を消します。ライアーの姿を残したクルッスが19世紀まで現役で演奏されていたウエールズは、音楽史上でも稀な土地柄なのです。

 

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右がライアー。左二つがウエールズのクルッス。
ライアーには音を響かすホールがありません。
クルッスは全部一つの木で造られています。
両方とも素朴な音を奏でます。現代のバイオリンのような鋭く通りの良い音とは異なった音ですから、こじんまりとした会場でじっくりと聴きたい音です。

 

 

 ブラゴッドは、このライアーとクルッスの男性奏者一人と、女性シンガー一人のコンビです。当日は古ウエールズ語での歌がメインですが、最後に南米の楽器・チャランゴ(マンドリンとギターの中間のような楽器)奏者が加わって、トリオで締めくくります。
中世はこんにちのような社会性や公共・観客マナーなど無かった時代です。車の音こそありませんでしたが、歌や音楽を披露するにも、演奏中に話す食べるは当たり前、その上に酔っ払いは歩き回るし子供や犬は泣きわめくというように、人の騒音の中で歌われていたことは想像に容易です。ブラゴッドのシンガーであるメアリーアンさんは、当時の騒音環境の中で聴衆(主に貴族ですが)を注目させ、しかも声を通らせる為に、ウエールズの吟遊詩人たちが特に工夫したであろう特殊なしかも、独特の発声を復元想定して歌っています。一度聴いたら忘れられない、ミステリアスで耳を傾けずにはおられない魅力があります。

 

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ライアーを弾いているところです。ピックを使っています。
ライアーはアフリカ、エジプトと渡り、ギリシアではキターラと呼ばれました。
ギターもチターも語源は「キターラ」にあるようです。

 

 

 

 このコンサート会場になるのが「ランナフヴィンヤード」ランナフワイン園です。(ちなみにランナフは、Llanerch、LLanは、舌を上あごにつけずに巻いて、喉から息を出して勢いよく舌に当てて両脇から息を出しながら舌を解放するという音で、ウエールズ語の中で一番厄介な発音です。)このワイン園のキャリアド(ウエールズ語でダーリン)というワインですが、さっぱりとした口当たりでフランスでも大変に人気のあるワインです。オーナーが脱サラと趣味で始めたワイン造りですが、気候の温暖化も手伝って素晴らしいワインとなり、フランスから名誉ワイン騎士の称号をおくられるほどのワイン園となりました。2006年、中央公論社の雑誌「リクウ」でニコルさん、このワインナリを紹介しておられます。昨年新オーナーに引き継がれて、宿泊以外にもレストランと料理&ワイン教室が新設されました。ランナフワイン園の地域はスラントリサントといいますが、この土地は少なくとも2000年前からあったようで、ウエールズ語での地名は「3人のケルト聖人の居た場所」です。散策にはもってこいの森と池もありますから、ここでも英国の夏の長い夕方を存分に楽しめます。(続)

 

    ランナフビンヤードの森            喫茶室の木漏れ日

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ランナフヴィンヤード 

こじんまりとしたワイン畑です。
キャリアドは、スパークリング、ロゼ、白の3種のワインです。

 

 

 

 

 

楽器の写真はBen Stammers & Sarah Roberts

ランナフビンヤードの写真はクリスチャン・ルイスサール

文はルイスサール奈都世

 ヒースロー空港から高速道路で約2時間(順調なら)走ると、イングランドとウエールズの国境となります。国境越えでは、川幅なら世界第2のセヴン川のつり橋を渡るという、ドラマティックな経験が出来ます。橋の始まりと終わりは約7kmあります。川幅の大きさ、潮が戻るときのスピードと流砂のお陰でウエールズへのローマ人の侵攻が遅れた、という歴史にも影響があった川です。

 この橋を渡ると、公共の表示は全て英語とウエールズ語の2重表示になります。4カ国の連合国の英国では、英語は公用語で、イングランドの以外のケルト3カ国にはそれぞれの言葉があります。同じケルト系でもスコットランドとアイルランドは同系統の言語、ウエールズ語はブレトン系言語なのでフランス系のケルト語と通じあいます。英語とウエールズ語ですが、影響しあって今日の英語があるとは云うものの、ウエールズ語には母音が7つにdd、llなどの英語には無い綴りなど、2つの言葉は全く言語系統が異なるものです。大雑把ですが、中国語と日本語のような違いがあると思ってください。しかもウエールズ語は「現役で使われている欧州で最も古い言葉」です。英語の常識でチャレンジして失意の人となるよりは、むしろその違いを耳で聞いて楽しみ、難解な綴りの発音を推測するなどして、「英国の中の異国」を楽しんでください。

 

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ウエールズ語と英語の二重表示
上が英語、下がウエールズ語です。
上から順に、トイレ、クーパー広場、市民会館、国立博物館です。

 

 

 

 

 ウエールズ語は歌うような言語といわれています。300万の人口比にして約4%がこの言葉を第一言語として日常で話していますが、99年に発足した独立議会政治は言語教育に力を入れるようになり、現在では多くの子供達がバイリンガルです。(大人はそうはいきませんが)。ウエールズでは、言葉の芸術が盛んです。歌や音楽、詩歌の朗読には並々ならぬ情熱があり、吟遊詩人の元は、ケルト人とイングランド人の抗争を弾き語ったウエールズ人にあるといわれています。言葉の祭典「アイステスフォッド」なるものが一年に一度開かれ、詩歌の作と朗詠のチャンピオンが最高の栄誉とされます。ところで、英国4カ国の人々のキャラクタースタディは面白いですよ。なにかにつけては民族の血を枕詞に使うのです。「我々イングランド人はそんな事では動じないのだ」とか、「議論ならまかせとけ、俺はスコトランド人だ!」とか、「歌がうまいってか?当たり前だ、俺はウエールズ人だ」とか、「俺はアイリッシュだ。文句あっか!」と自分を明るく名乗って相手をけん制すします。でも、なんだかんだといいながらもとどのつまりは仲良くビールを飲む辺りが面白い。こういうやり取りをしながら日常のちょっとしたぎすぎすを円滑にさせます。異人種間の長い抗争や、為政者や文化の軋轢などかい潜ってきた民族ならではの強さでもありましょう。

 

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インドアマーケット
カーディフ市の庶民市場です。

 

 

 

 

 

 ウエールズの国旗は、サクソン人との抗争伝説による「ケルト人を示す赤いドラゴン」をメインキャラクターにしています。16世紀のウエールズ人の血を引く王朝・チューダー家が戦場で使ったことに由来します。街中いたるところにこのドラゴンがいます。このデザインを見ていると楽しいです。街の中央には1891年出来たインドアマーケットがあります。当時の外国人労働者を対象とした庶民市場が始まりで、今でもエキゾチックな野菜や、豚の頭などを売る肉屋、鮭をドカンと売る魚屋などがあります。この魚屋では南ウエールズ名物のアマ海苔も売られています。(続く)

 

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名物のケーキが山のように売られています。
バターを塗って食べますと、紅茶にとても良くあいます。
ついでに花も買ってポットの横に飾れば、英国ムード満点になります。

 


 
写真と文 ルイスサール奈都世  CELT21 UK

 

 盲学校に通う子ども達を迎えての、アファン"心の森"プロジェクトが5月17日~18日に行なわれました。

 東京、神奈川、千葉、そして愛知から10人の子ども達が付き添いの方とやってきました。初めての子もいれば、久し振りに会う子もいます。

 

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 新緑真っ只中のアファンの森に到着し、お昼ご飯と自己紹介をしたらさっそく森へ出かけました。水を触ったり、流れる音に耳を傾けたり、森のブランコや、ヤブをかき分けて探検したり...。

 

 

 

 

 

 

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時間が経っていくと、自分の好きなことを見つけ始めます。小さい子と関わることが楽しい、水の音を効いているのが楽しい、クルミが好き、などなど。パートナーと共に森の時間を過ごします。
 
 そのまま森で夕食を食べました。
メニューはすいとん。自分たちで火を焚き、すいとんをこねて鍋に入れ、火が通ったらOK。採ってきた山菜も入れたオリジナルのすいとんです。

 

 

 

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 子ども達とは離れ、別行動していた付き添いの親御さん方も合流し、日の暮れる森でひとつの火を囲んで共に時間を過ごします。笛とディジュリドゥーの音に耳を傾けると、ホトトギスがアンサンブルしてくれました。フクロウの声も聞こえるようになった森を後にして、ホテルへ帰りました。

 

 

 

 2日目、アファンで深呼吸から始まったこの日も、すがすがしい天気。新たに泉を発見したり、木登りしたり、森でのんびり昼寝もしました。

 

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 「風の中に入った感じがした」とある人が言っていました。

お昼ごはんは山菜の天ぷらを食べて、身も心もそしてお腹もアファンの森で満たして、それぞれの家路へ戻っていきました。

 

 

 

協働 日本アムウェイ株式会社 One by Oneこども基金
協力 株式会社インテージ

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 今年初めての会員見学会がありました。
 朝から冷たい雨が降っていて、春の森を見ていただくには肌寒いというより、かなり寒い日でしたが、一人の欠席する方もなく、また、レインウェアなどの装備もほぼ完璧で、会員さんの見学会に対する気合いが感じられるようでした。
 そのおかげか雨のほうも、見学会が始まる頃には上がり、新緑の森の中、春のリュウキンカのお花畑や、青い渡り鳥「オオルリ」を見ることができたりしました。時期がら、見学会の話題は山菜でもちきりでしたが、皆様に喜んで帰っていただいてうれしく思います。会員さんの笑顔が雨を晴らしてくれたのかもしれませんね。

 100年前には石炭と港湾労働者でひしめいたカーディフ湾ですが、石炭衰退後は一気に寂れてしまいます。あたり一帯は長い間「汚い・危険・貧困」の象徴に甘んじていましたが、1980年代、モダンで明るいイメージを求めてカーディフ市は起死回生の港湾開発事業を興してイメージアップを図りました。その結果、現在ではお洒落なレストランやカフェ、5星ホテルや文化ホールなどが立ち並ぶ、カーディフの大事な「顔」となりました。

 ミラニアムセンターの斜め前に、クラフトインザベイの建物があります。このクラフトインザベイの付近はかってのビュートドックの真っ只中でしたが、クリスタルで明るい建物だけを見ていると、石炭とかその様な過去のイメージは全く残っていません。対して石炭取引所や旧銀行などの趣のある当時の建物は、外観はそのまま残して再生利用をしてあります。クラフトインザベイには、ウエールズ政府公認のクラフトマン(ギルド)の現代工芸作品が展示販売されています。ギルドのメンバーになるには2年に一度の厳しい技術審査が行われます。家具、木工、陶芸、革製品、ジュエリー、タペストリーと、いずれも素晴らしいクラフトマンシップ・手仕事の妙を極めた作品ばかりで、お城で観る技術の美しさとは全く異なる美しさで、訪問者を魅了しています。

 

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クラフトインザベイ

モダンな作品が妍を競います。

 

 

 

 

 

 カーディフ湾は、マリーナ整備に伴い埋め立てされて淡水湖となりました。埋め立てに当たっては、
1.酸素の供給機を水中に設置する
2.水鳥の干潟は残す
という自然環境保護配慮がされています。

 

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カーディフ湾湿原地帯の空撮です。周辺は遊歩道となっています。
アートと一体になって自然環境保護を訴えます。

 

話は飛びます。
 英国の南極探検隊の通称スコット隊といえば、ノルウエー隊に先んじられた上に隊員も全滅して、英国史上でも名高い悲劇なのですが、この探検隊は今日も英国人には絶大な人気があります。このスコット隊は1910年、カーディフの港から南極を目指して旅立っています。一行が死への旅立ちとなる前に最後に泊まったホテルもカーディフ市内に健在です。スコット隊が全滅した理由は多々あるのですが、極寒の吹雪の中で立ち往生して食料が尽きても、犬そりの犬達と作業用のポニーを頑固として食料にしなかったことにあると云っても過言ではありません。犬と馬は英国人にとってはお互いに体の一部のような間柄です。厳しい状況下に苦楽を共にしてきた仲間でもある彼らを、自分達のサバイバルのためだけに殺すことが出来なかった事が、全滅の見過ごせない遠因として語り継がれています。

 

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スコット大尉を模したアート
後ろに見えるのはカーディフベイのビジターセンターです。

 

 

 

 

 

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ロース公園のスコット隊顕彰碑
白鳥達が優雅に泳ぐ池の中に建っています。

 

 

 

 

 

 偶然とはいえ、ここでもまた偉大な父と子の業績がありました。石炭の富と南極探検。どちらも時代 の産物なのですが、この二つが、たとえ偶然といえども、最終的には現代に生きる私たちに進むべき道を示しているように思えてならず、仏教徒の私は、今回のロンドンウエットランド訪問に、不思議なご縁を感じています。カーディフ→ビュート候2世とスコット大尉→3世とピーターさん→文化保護と野鳥保護、というふうに覚えておかれますと、2つの訪問地が更に一つにリンクして、訪問の意義も感慨も一層深くなられるでしょう。(続く)

 

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旧石炭取引所
かっては熱狂的な取引が行われた場所です。
英国初の億単位の小切手が切られてことで有名です。
現在は、高級マンションに改造中。

 

 

 

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旧灯台船
この船が湾沖に停泊して、膨大な数の船の安全を確保しました。
現在は船教会となり、カフェもあります。再利用の一つです。

 

 

 

 

 

写真と文   ルイスサール奈都世   CELT21 UK

 スポンサーであるサンデン(株)様の赤城事業所に広がるサンデンフォレストを訪問いたしました。

 事業所再編成の際、福留脩文先生(西日本科学技術研究所所長)と共にアドバイザーとしてニコルが関わっておりました。
今回、数年ぶりに訪れるニコル、松木と共に事務局員も同行させていただき、工場と自然環境の共存に取り組んでいる現場を見せていただきました。

 主に見せていただいたのは、ビオトープでした。
規模が大きく法律上の縛りが多くある中、様々な工夫が施されており生き物も多く確認できました。2002年に完成して6年、今後が楽しみだと感じました。

 何よりも印象的だったのが、関わっている方々が皆さん情熱的で本気で取り組んでいるその姿勢でした。
調査や手入れなど直接的な活動から、環境教育の現場としてプログラムを実施していたり、周辺地域とのネットワーク組んで活動していたり、と多くの刺激を受けて帰ってきました。

サンデン(株)HP : http://www.sanden.co.jp/
サンデンフォレストHP : http://www.sanden.co.jp/
(株)西日本科学技術研究所HP : http://www.ule.co.jp/index.html

GWの最後5月6日と7日に、ご支援いただいている日本アムウェイ(株)のディストリビューター有志の方々にお集まりいただき、森の作業をお手伝いいただきました。今年で5年目になります。作業はウッドチップを地面に敷くこと、ヤブ刈りをした場所の片付けでした。

 人が集中して利用する道や場所は地面がどうしても踏み固められ、削られます。土の中にある、土壌生物、草木の細根、ねむっている種、などがダメになってしまいます。だからといって人の入場をこれ以上制限することもできません。森はまだ狭いため、ゾーニングも難しい状況。森が悪くなってしまっては本末転倒です。
 そこで出てきたアイデアが「ウッドチップを敷くこと」でした。今年で4年目になります。ウッドチップの効果はいろいろありますが、土壌生物、草木の細根、ねむっている種などを踏圧や侵食から守ることで、将来その場所を休ませることができたときに本来の姿にすぐに戻れるようになります。つまり「未来を守っている」ということですね。

 毎年皆さん勢力的に動いていただき、大きなチップの山が初日でほとんどなくなり、2日目はヤブ刈り後の片づけをしていただきました。作業後は松木と森をひとまわりして、春のアファンの森を(いろいろと)味わっていただきました。

 ご協力いただいた皆様、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

協力:日本アムウェイ OnebyOneこども基金
    日本アムウェイ ディストリビューターの皆様

 石炭、せきたん、セキタン。尽きることなく掘られて、尽きることなく積み出されて小切手が飛び交うという時代に涌いたカーディフ市とビュート家の富。やがてこの勢いにも翳りが見える事を私達は知っています。石器時代が終わったのは石が尽きたわけではないように、石炭時代が終わったのは石炭が尽きたのではなく、世界的な需要が無くなったからです。石炭首都と呼ばれもてはやされたカーディフの勢いは、事実上1914年を以って終わります。この年は、戦争のあり方が近代化されたと言われる「第一次世界大戦」勃発の年です。時代は石炭から石油へと替わり、ビュート家の富も徐々に衰退します。2つの城の改修に莫大な費用が掛ったことにも原因あり、と聞きました。

 
(ウエールズの象徴は赤いドラゴンです。イングランド国境の橋を渡ったそのときから、赤いドラゴンがそこら中に出現します。繁華街を20m歩いた間に、これだけ見つかりました。)

 

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(左)国旗

(右)ローカル新聞社のシンボル

 

 

 

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(左)マグカップ

(右)ケーキの型抜き

 

 

 

 

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地ビールのシンボル
ニコルさんのお気に入り銘柄「ブレインズ」です。

 

 

 

 

 

 ビュート家の4世と5世は、不況や第二次大戦を経て、1947年、ついにお城とそれを取り巻く広大な敷地をカーディフ市に丸ごと寄付されて、これにより、カーディフとのご縁はぱたりと尽きてしまいました。お城に続いた庭跡が、現在の行政地区です。ご寄付に当たってはビュート家のご希望で、この敷地内の建造物は美観景観保護のために白亜のポートランド石を使用する約束が取り交わされました。現在の市民ホール、裁判所、博物館、大学、警察本部などがその建物です。

 

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タフ川と駅裏からみた、ミラニアムスタジアム。

7万6千人収容の全天候型競技場で、天井が開閉します。
ラグビーなどの人気試合終了後、ゲートから観客が一斉に外にでて歩行者天国に向かう姿は、ゲルマン民族の大移動という言葉が思出だされるほどです。

 

 

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行政地区にある裁判所もポートランド石で出来ています。

 

 

 

 

 

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市民ホール ここにも赤いドラゴンがいました。

 

 

 

 

 

 

 ビュート家は、もともとスコットランドの貴族、彼の地の西海岸にあるビュート島の美しいお城が本拠地で、カーディフ城は複数のお屋敷のうちの一つに過ぎず(!!)、3世当時は子供さん方がウエールズ語の習得のために夏休みに2.3週間、キャステルコッホ城はきつね狩りに年数回の訪問程度だったようです。ビュート家の現在のご当主は第7世、若かりし頃にはカーレーサーとして随分と華やかな方だったようですが、このビュート家7世のご家族が、華々しくカーディフ入りされることもありません。

ビュート3世候を、単に「道楽の人」と呼ぶ人もあります。3世候は、

1.文献を調べ現場調査をしてデザインを構築していくという、いわば、プロジェクトの過程とプロセスには没頭したものの、完成には関心が無く、事業の後半には興味と情熱を失う傾向があった
2.石炭万能の当時の、自身の現在の財力だけしか考えていなかった
3.つまり、先行きの経済や将来を見越した「継続可能な持続性」や危機感や予見能力に欠けていた

とも云われています。お金持ちへのヤッカミもあるかもしれません。

私は時々、遠来のお客を案内して或いは撮影のために二つのお城を訪ねますが、城内の精緻で絢爛豪華な装飾にはいつ訪れても圧倒されます。過去の文化資産の恩恵と言うべき、先人の残してくれた美しい物に触れられる喜びは、たとえ様がありません。それでもふと、ウエールズのアファンの山の同じ時代の庶民の姿「煤にまみれて危険と隣りあわせで石炭を掘る男達」や「石炭を黙々と地上に運ぶ目の見えない荷役用のポニー」あるいは、「ぼろをまとったカーディフ湾の港湾労働者達」などの記録写真が心に浮かび、「庶民の汗の上に成り立った巨万の富」への複雑な気分が涌いては消え、消えては涌きします。
さて、皆さんはどのようにお感じになることでしょう。
(続く)

 

写真と文  ルイスサール奈都世 CELT21 UK

 ゴールデンウィークも後半を迎えた5月4日、昨年度よりご支援をいただいている株式会社ディー・エヌ・エーの方々がいらっしゃいました。

 今回は「DeNA新卒新入社員研修」の一環として、今年度DeNAへ入社した新卒新入社員のうち有志の方々と人事担当者の方が訪問されました。
豊かな森を実際に味わってもらうこと、森に手を入れることがどういうことなのかを体験ただくこと、そして、自分自身のことにも目を向けてもらう時間としました。

 黒姫駅に集合し、数台の車に分乗して移動しましたが、参加者の皆さんはエネルギーが高く、臆することなく表現するなぁと感じました。
 森に到着し、アファンの森の概要をお伝えした後、まずはヤブ刈りをお手伝いいただきました。昨年の10月にも南波社長はじめ社員の方々にお手伝いいただいたその続きをお願いしました。子供の頃は自然に親しんでいて、自然が好きだという人もいれば、これまであまり自然とは親しんでこなかった人、あまり好きではない人まで様々でしたが、皆さん一生懸命に作業していただきました。

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         作業前                    作業後

 

 ティピーの裏で地元の食材を使ったお弁当を食べ、午後はアファンの森を松木の案内で見ていただきました。

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午前中の作業がこんな森になるための一歩であることを肌で感じてもらいつつ、長期的な視点に立っていること、次世代が育っているのが森であること、放置せず林床に光が届くよう手を入れる意味、など企業と共通する話がいくつもでてきました。一方で、タラの芽など森の恵をむじゃきに喜んでいるシーンも見られました。

作業で汗と一緒に都会の垢を落とし、森の豊かさを肌で感じて身も心も緩んで開いた後、少し自分のことをみる時間としてアートセラピーを実施しました。
心の森プロジェクトでも実施しているもので、パートナーを決め、画用紙にクレパスで絵を描き、描いた絵を見せ、周りの人はその絵を見て感じたこと伝えるという時間です。

 

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 感情や思いなど内面に起こっていることをそのまま表現することは、その人が成長することにつながると考えています。絵を描くことも表現の一つで、内面が映し出されるようです。その絵を見て、感じたことをお伝えすることは、本人は気づいていないことが言葉として伝えられる場面になります。

 とかく、このような場面になると照れや恥ずかしさなど、さまざま反応により自分を少し閉ざしてしまうこともありますが、今回の皆さんはとてもフランクに明るく、それでいてごまかすことなく表現してい多様に感じました。これから各部署で力を発揮する皆さんにとって、自分の今の状態を知り、自分の隠された一面に気づく時間になったと感じた時間でした。

 山菜の天ぷらに手を伸ばしてもらい、お腹も満たしてもらい今回の研修を終わりにしました。

 こうして文章に書くとかたい様に感じるかもしれませんが、参加者の新入社員の皆さんは終始明るく、正直な雰囲気の中過ごしていただき、有意義で楽しい時間だったと感じる一日でした。会社に戻り自分の力を発揮することへお手伝いができた気がして、嬉しい一日でもありました。

SANY0014.jpg  日常生活で内面を見せ合い、感じたことを伝え合う機会を皆さんはお持ちでしょうか?なかなか難しいと思いのではないかと思います。
 「豊かな森」という無条件に受容してくれる雰囲気のなか、内面に抱えていることを表現することで一歩レベルアップして日常に戻る、そんな時間がアファンの森では流れています。「企業は人なり」あまりにも有名な言葉ですが、そんなお手伝いができるのではないかと感じています。
 
 株式会社ディー・エヌ・エーのHPでも活動の様子が紹介されています。
こちらをご覧ください。
http://www.dena.jp/company/afan080504.html

 GWの前半が終わりましたが、この時期毎年お手伝いいただいているのへら隊(グリーンセイバーのボランティアの皆様)にご協力いただき、トラストにより取得しヤブ刈りを行なった場所へ、植樹(移植)を行ないました。

約400本の苗木を松木さんとともに植えていただきました。

 カーディフから車で30分そこそこにトンギンラスという小さな村がありまして、この村の坂を上ったところに、キャステルコッホがあります。ウエールズ語で「赤い城」という意味ですが、ディスニーアニメの「眠りの森の姫」のモデルの城になったとも云われ、森に囲まれた円塔がキャラクターの、絵に描いたように可愛いお城です。13世紀時分からあったらしいこのお城も廃墟となって久しかったものを、城の持ち主のビュート侯爵3世とデザイナーのバージェスの手で、例によってまず、歴史文献の調査と現場の発掘から初めて、中世好みに仕立て上げられたものです。全くの余談ですが、私がこの城を初めて散策した1997年6月、ご近所に住むというおばさんが「ハリウッドのねえあなた、ロマン・ポランスキー監督がね、「ドラキュラ」の撮影をしたのよ、あなた、監督はかっこよかったわよお」と頬をそめながら教えてくれました。財団の(か)さんが訪問記でも触れておられましたが、このお城の周りには、行者にんにくがわんさかと自生しています。辺りには「つん」とした餃子風の匂いが漂っていて、話を聞きながらお腹が勝手にぐうぐうと鳴るには困りました。ついでに、ドラキュラの撮影地にニンニクの匂いが漂う環境というのはこれいかにと、「笑点」の歌丸さんや小円遊さんも思い出したりしました。

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キャステルコッホ遠景。

「眠りの森の姫」でもいそうな感じがします。
お城は、婚礼や教育目的の集会所として借りる事が出来ます。

 

 

 

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3世とバージェスは、改修の前には必ず発掘調査をするなど、復元保護もわすれていません。
例えば、赤で囲まれた部分はカーディフ城壁のローマ遺跡です。コッホ城も、13世紀の基礎部分はきちんと調査されて残されています。

 

 

 

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お城を囲む森の、可憐な行者ニンニク。
この花と森の雰囲気から、ロマンチックな人には急激に感激度数が上がります
現実的な人には、ニンニクの匂いに刺激されて一気にお腹がすいてきます。

 

 

 

 

 コッホ城は、3世候が奥様への贈り物として改修されたもので、塔のてっぺんに奥様用の寝室があります。四隅にクリスタル球を配した大きなベッドがどかんと置いてあります。候とバージェスは、美しいグエンドリン夫人をアラビアンナイトに出てくる中世の姫にみたてて、この部屋をアラビア趣味のおとぎ話風にしました。
 城の玄関からダイニングを抜けてホールに入ると、歴代のビュート家の当主と奥方の肖像画が、各自の紋章と共に飾られています。お金持ちだけどうんと器量の悪かった令嬢、この方のお陰で一夜にして伯爵になった初代、若くして無くなったご長男(2世の父)、ビジネスマンの2世に学者肌の3世、その奥方たち、肖像画から其々のキャラクタースタディが出来ます。城内のインテリアは、3世候の宇宙観と人生観に溢れ、占星学や聖書の教えがメインテーマ、併せて、人間界の愚かさをイソップ物語などの寓話にも託して壁絵にしたり日本風の植物絵も配されて、そこかしこに当時のアーツ&クラフト運動の波を反映しています。ここでもまた「へえぇ」と見上げては感心してばかり、あらたに首が疲れる羽目になりますのでご注意を。職人芸の詳細はもう敢えて説明はしませんが、揃い踏みした職人さんたちがここまで腕を惜しみなく腕を振るったのは、彼らがまずバージェスの才能に心酔していた事のみならず、弟子を大事にしたバージェスの人柄にもあったと言われています。デザイン画家のランズデールは、当時の王立アカデミーから世界一周遊学の受賞をしながらもそれを放棄して、敢えてバージェスの元で一弟子として下絵を描いたそうですから、半端ではありません。人の心を捉えるということの大切さを教えられるエピソードです。
 3世候が動物好きだったことから、カーディフ城とコッホ城には動物のモチーフやデザインがふんだんに見られ、精巧な美への感嘆のみならず笑顔もこぼれてきます。こういうところに、バージェスのユーモラスで憎めない個性の表われがうかがわれます。コッホ城は森の中の小規模な城なせいか、自分を城の内外にすうぅと溶け込ませることが出来るような、親近感があります。(続)

 

写真 クリスチャン・ルイスサール  CELT21 UK
文  ルイスサール・奈都世       同上

 

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